海軍乙事件

セブ戦争秘話 1
by: 蝶谷 正明(セブ日本人会)

1941年12月の開戦以来、日本軍に有利に展開していた戦況は、半年後の42年6月ミッドウェー海戦で反転。主力空母4隻と200機以上の航空機を失い、8月から始まったガタルカナル島の戦いは2万余の犠牲を出して翌年2月に撤退。各方面での敗勢は覆い難くなっていました。
そのような情勢下1944年3月、セブ島を舞台として起きたのが海軍乙事件です。2月に連合艦隊の根拠地であったトラック環礁がアメリカ海軍機動部隊の空襲を受け、基地機能、停泊中の艦船、虎の子の航空機を一気に失いました。連合艦隊は根拠地をパラオ諸島に移動しましたが、僅か1ヶ月後の3月に再びアメリカ軍の攻撃を受けることになりました。
事前の情報で商船を残し軍艦は撤収、連合艦隊司令長官以下幕僚は2機の飛行艇に分乗してミンダナオ島のダバオを目指しました。しかし、悪天候の為、司令長官を乗せた機は行方不明、宇垣参謀長座乗機は航法を間違えてセブ市郊外に不時着水し、抗日ゲリラに囚われてしまいました。しかも日本海軍の次期作戦計画という最高軍事機密を奪われてしまいます。この書類はゲリラから当時オーストラリアにあった連合最高軍司令部の手に渡りますが、コピーを取った後で参謀長に返却されます。結果的には日本軍とゲリラ間の取引で捕虜となった連合艦隊上層部は解放されました。
しかし、彼らは海軍の査問(軍法会議ではありません)では捕虜になった事も機密書類が奪われた事も知らぬ存ぜぬで通します。「生きて虜囚の辱しめを受けず」のはずが一切処分無し。
次期作戦はそのまま実施され、マリアナ海戦で連合艦隊は壊滅的打撃を受けてしまいました。今ならセブ市から車で1時間程度の場所が舞台です。
興味のある方は作家吉村昭の同名の著作の一読をお勧めします。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *